どうもイカエです。
僕がたまーに擦ってるネタなんですが僕は小学校に入る前(保育園の年中ぐらい)の時点で3値を知っていた客観的に見てもまあまあ特殊な人間でした。そんな僕がポケモン対戦を始めるきっかけとかの実体験を書いてく記事です。
はちゃめちゃにヤバいエピソードとかはないですけどかなり珍しい部類の自覚はあるので見ていってくれたら嬉しいです。
以下本編
目次
発端編
そもそもゲーム機デビューしたのもかなり早くて今から15年前(当時5歳)にクリスマスのプレゼントでDSとダイヤモンドを買ってもらいました。1日1時間の制限を設けられながらせこせこやっていたのを覚えてます。
↓当時リアルネームでプレイしていたダイヤモンド(全国図鑑完成、プレイ時間カンスト)
当時のGTSは図鑑登録されていないポケモンは交換できない仕様だったので全国図鑑完成には少なくともGBA版のソフトが複数必要でした。それもあってかDSを持っているのにも関わらず世代を逆行してサファイア、エメラルド、ファイアレッドをプレイしていた。
エメラルドで出ないルナトーンのためだけにサファイアを買った(当時のお小遣い月500円)
ただし、いくらポケモンにハマってたと言えど保育園児にはネット環境があるはずもなく攻略本にも3値なんて載っていません。ましてや自力で解析して隠しステータスの存在を知ることなんて不可能です。では、なぜそんなタイミングで3値を知ったかと言うと“母から教えてもらった”からです。
「???」
ってなる人しかいないとは思いますけどガチです。
僕がDSを買ってもらったことをきっかけに父も母もそれぞれDSとロムを買い、一家でポケモンをやっていました。
そんなある日、唐突に母からポケモンで強くなる方法を教えてあげる的なことを言われました。
ポケモンにどハマりしてた僕は特に躊躇する理由もなく二つ返事で了承し、性格→個体値→努力値の順で3値について教えてもらいました。(種族値は攻略本に大まかには書いてあったのでなんとなくは理解していた)
要約すれば僕は親からの英才教育を受けてポケモン対戦を始めました。
これが3値を知るざっくりしたきっかけなんですけどこの話には続きがあります。
vs美容師のけんちゃん編
母曰く、通っていた美容師のけんちゃん(以下けんちゃん)に3値の存在を教えてもらったとのこと。(どんな会話すれば美容師から三値を教えてもらうことになるんだ…?)ちなみにエメラルドのバトルタワー増殖バグとかも教えてもらってたらしい。
当時の僕はポケモンを育成したはいいが対戦する機会がなくて困っていた。(今でこそ当たり前のレートはDPには未実装で、もこう先生の実況で有名なバトレボもWiiがないのでできなかった。)
対戦をする機会がないことを母に伝えると「今度けんちゃんと対戦する機会を作ってあげるよ」と唐突に言われました。
〜試合当日〜
なぜかBBQも同時にすることになり屋外へ連れ出されそこでけんちゃんに出会う。
風貌は金髪にサングラスのイケてる20代後半ぐらいのお兄さん。当時6歳の僕は一歩間違えばDQNのような見た目の男性にビビり散らかす。
第一印象最悪の彼だが話してみるとそこまで怖い人ではなかった。そんなこんなで当初の目的だったポケモン対戦を開始。
ルールを話し合った結果、僕の育成済みポケモンが軒並み伝説ばかりだったので伝説ありのシングル66をすることに。
1ターン目
僕 いけっ!ディアルガ!
け いけっ!ダークライ!
僕 「知らんポケモンきたw(どうせ弱いやろ)」
ディアルガは眠ってしまった!
僕 「」
2ターン目
け ダークライの身代わり!
僕 「」
数ターン後
ディアルガは倒れた!
パルキアは倒れた!
メタグロスは倒れた!
レックウザは倒れた!
この時点では映画公開前なので通常プレイではダークライが入手できず、いわゆる波乗りバグでしか手に入らなかった。そのためタイプも知らないポケモンにただひたすらにダークホールで眠らされてボコボコにされる6歳児vsダークライで嵌める20代男性の構図が出来上がる。やってることDQN以上だろ。
奇跡的にバンギラスを採用していたので砂嵐のダメージ(当時は永続)とダークホール避けでダークライの突破には成功した。
そしてけんちゃんが2体目に出したポケモンは…?
いけっ!ダークライ!(迫真)
これには伝説厨のタクトさんも真っ青
2体目のダークライを突破できずに結局負けてしまいました。
小学生がガルーラにボコられて泣いてしまう例の動画ぐらいギャン泣きしてました。
客観的に見たら保育園児にダークライ2体でフルボッコとかいうYoutubeでよくある「生意気なガキをぼこしたったwww」ぐらいの勢いで鬼畜っぷりをかまされたわけです。
今考えるとけんちゃんのやってることやばすぎでしょ。
ただこれをきっかけに僕はポケモンをやめるということもなく、ポケモン対戦に勝ちたい気持ちが高まった部分もあるので今となってはいい体験です。
ということでこれが僕のポケモンガチ対戦のデビュー戦でした。
JCS2010県予選編
けんちゃんとの一件から約4年後(当時小3)、毎週視聴していたポケモンサンデーという番組の特集でダブルバトルには世界大会があり、この年は県予選が存在することを知ります。
両親とも僕がポケモンをやっていることに理解があるので大会の予選に出ることを快諾してくれました。
ルールはHGSSで行われた伝説2体まで使用可能のダブルバトルです。
当時の記憶を頼りにするとこんな感じの構築を使っていた気がします。
コンセプトはアグノムの大爆発で数的有利をとるビートダウン構築(?)です。
詳しい中身は昔記事にしてるのでもしよかったら読んでください。
【クソ記事】JCS2010県予選ベスト16構築 - 掃き溜め
予選は3連勝できれば抜けのトーナメント制でした。
予選トーナメント1回戦
対戦相手は僕と同い年ぐらいの男の子
レックウザとかドダイトスとかで明らかに旅パだったのでアグノム大爆発→ルギアの瞑想で詰めで勝ち
予選トーナメント2回戦
この試合だけよく覚えてないけど旅パだったからアグノム通して勝った気がする
予選トーナメント3回戦
小学校高学年の女の子
パルキアとルギアをうまく通して勝ち
無事予選抜けを果たして決勝Tへ
決勝T1回戦
小学校高学年の男の子
アグノムの大爆発で初手2体を葬ってイージウィン
2回戦
マジで覚えてない
3回戦
同い年ぐらいの男子
相手の初手ヨノワールがトリル展開をしてきてそれを止められずに負け
幼少期からすでに3値を知っていたおかげで県予選の割と惜しいところまで行けた話でした。見ての通りアグノムを爆発させて勝った試合がほとんどだったのでこのタイミングでアグノムを好きになりました()
好きなポケモンは爆弾です。
その後
小学校高学年特有のポケモンはガキの遊びマインドが発動してBW2〜XYは未プレイに終わる。
中2でORASは買ったけど育成だけでレートはほとんどやらないエンジョイ勢に。
高校受験が終わりSMからガチ対戦を始めるようになるがUSUMまでは最高レート1800代に終わる。USUM発売され最初のシーズンでインフレの波に乗り初レート2000を達成。それを契機に7世代ではレート2000を計4回達成し大学受験へ。
大学受験が無事終わり今に至ります。
幼少期からポケモン対戦を始めるアドはあるのか?
これは僕が個人的に気になっている話題です。
スポーツの世界では幼少期から訓練を積んでトップアスリートになるみたいな話をよく聞きますがポケモンはどうなんでしょうか?
僕個人の話ではあまり関係がないみたいです。
本当にセンスがある人はポケモンを初めて1〜2シーズン目でレート2000に載せることもあるみたいですが、僕の場合はレート対戦を始めて1年以上かけてやっとレート2000に乗せました。現在もトッププレイヤーほどめちゃくちゃすごい実績がある訳ではありません。幼少期から訓練を積んでもトップアスリートになれない人もいるのでこの辺もなんとも言えませんが僕個人には幼少期から始めたアドバンテージを感じませんでした。
あくまで僕個人の話なので他の人はどうかわかりませんが幼少期からポケモンをやっていたというサンプルが少なすぎるのでなんとも言えないですね。もしかしたらネット環境が15年前より整っている今ならもうちょい3値を理解するタイミングが早くなってる人が増えているかもしれないですね。
おわり